2015年御翼12月号その4

結婚の祝辞

  

 キリストへの信仰を強め、人への愛を育てるのは、天にある希望である。私たちは、神の祝福を望む希望がいつでも必要である。
 学校を選ぶとき、希望がいる。
 仕事を決めるときも、素晴らしい将来があるという希望が必要である。
 結婚する時、幸せになるという希望が必要である。
 子供が与えられた時、神に祝される子となる希望が必要となる。
 この世を去るときも、天にある祝福への希望である。

 幸せな結婚とは何か。あまりに多くの人が、二人の幸福だけを求めて結婚する。しかし、二人の幸福以上に求めるべきものがある。それは、使命に生きることなのだ。
 使命に生きるクリスチャンの結婚は、武士道に似ていると内村鑑三は言う。武士の家においては、結婚は第一に君主の為であった。第二が家のため、そして第三が当人の為なのだ。まるで個人の権利を無視しているように聞こえるが、君主に仕えるという尊い使命のために、固い夫婦の絆があった。クリスチャンの結婚も、まず神の為にある。まず、「神の国と神の義を求める」ために結婚がある。神の正しい報い、祝福が人々に及ぶことを求める時、必要なものは「みな加えて与えられる」(マタイ6・33)と主イエスは約束された。
 だから、シューラー牧師は、神学生の頃、ある教授から結婚についてこう助言された。"Start with your head and your heart will follow."「理知(理性と知恵)を優先させなさい。そうすれば感情はついてくるものです」と。そしてシューラーは、良い牧師になるための助け手となる女性を示してくださいと祈り始めた。すると、 同じ信仰を持ち、伝道活動を喜んで助けてくれ、心、魂、外観も自分にとって魅力的な女性が生涯の伴侶として与えられたのだった。神の国と義を求めた時、真の愛が生まれ、結婚も幸福となるからだ。

 真の愛とは相手が生きるように配慮すること、相手の素晴らしい面を引き出してあげることである。1ヨハネ4・9に「神はそのひとり子を世につかわし、…わたしたちを生きるようにして下さった。それによって、…神の愛が明らかにされたのである。」とあるとおりである。幸せな夫婦とは、「最高の相手」と結婚した人のことではなく、自分の中に眠っている宝を引き出すことのできる人と結婚した人のことなのだ。
 三浦綾子さんは小説家となる前、三浦商店という雑貨屋を経営していた。ところが、近くに競合店ができ、売り上げを伸ばすために酒を販売したらよいと、綾子さんの兄弟たちは勧める。綾子さんは、何度かご主人、三浦光世さんの許可を得ようとするが、「駄目だね」と光世さんはきっぱりと言われる。「売る必要はない。もちろん聖書にも、絶対に酒を飲むなと書いてあるわけではない…しかし、綾子が酒を売ることはないんだ」三浦綾子自身も、父親が酒乱であったこともあり、酒は嫌いであった。少女時代から酒飲みの男とは決して結婚すまいと思っていた。「その自分が、たとえ父母の家を建てたいにせよ、酒を売ることに心を動かしたとは、何ということだろう」と、綾子さんは当時のことを反省している。「綾子、お前には酒を売る以外に仕事がないのか。もし綾子が酒を売らないなら、すべてはいいことになるよ」と言う光世さんに対し、綾子さんが、「それじゃ、小説家になれる?」と尋ねた。「なれるとも」と光世さんは確信に満ちて言った。当時の光世さんの日記に、次のような言葉がある。「綾子、何も売れなくてもよい。神をのみ第一義とせよ」と。
 間も無く、三浦夫妻の結婚式をした旭川六条教会の中嶋先生から、教会の月報に小説を書いてほしいと言われたことがきっかけで、綾子さんは小説を書き始める。そして、昭和三十九年、『氷点』が懸賞小説に入選、クリスチャン小説家の道が開けたのだった。綾子さんはいつもご主人を頭とし、従っていた。光世さんも綾子さんの最善を願い、神のために賜物を引き出したのだった。このように神に仕える三浦夫妻は、誰からも仲の良い夫婦と言われていた。

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